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このページについて
このブログは、シニアの健康と文化的生活のためのページです。
僕も、肉体的には人生の後半に至っています。
長いこと無茶な生活をしてきて、危ういこともあった僕が、今、健康で居られることは、振り返ってみると、「運」以外のものではないような気がします。
過去は変えられないけど、 その結果も変えられないけど、 これからの生活は、 その反省にたってやっていこうと思っています。
そして、せっかくだから、 同じような年令の元・企業戦士達と、交流していきたいと思っています。
このページでは、僕の日々の失敗談や、健康常識、文化常識の間違った理解を失敗や、徒然の健康と生活の思いをお届けします。
どうぞ、よろしくお願いします。
僕自身のこと
(Facebookページもご覧ください。)
僕の育った家庭は、太平洋の荒波を遮る半島に守られた内海(うちうみ)の半農半漁の村のお寺です。
その長男でした。
実の母は、当時、不治の病であった結核で亡くなりました。
僕がひとつの誕生日を迎えるか迎えないかで去った母を、僕は覚えていませんが、父の落胆はいかほどだったかと思います。
僕を育ててくれたのは、後添いの母と祖母です。
海と小高い山に囲まれた村の人々は、お寺の家族に優しく、家族は貧しい中にも、愛情いっぱいに僕を育ててくれました。
そして、僕はというと、とてもおとなしく、聞き分けの良い子であったようです。
当時の僕の家庭は、実母のなくなったこともあり、また、父も、結核菌を持っていたこともあり、健康については、極めて強い不安感を抱いていたのだと思います。
僕が、少しでも、熱があると、そうですねえ、7度1分でもあると、こりゃ大変だと、近所の医院に駆け込むのです。
激しい運動はもってのほかですし、夜遅くまで、本を読むなどということも、ご法度でした。
病魔はいつ襲ってくるかわからない、待望を抱いて、村を出ていっても、身体を壊したらなんにもならない。
打ち込めるものは、ない方が良い、 打ち込んで邁進するものがあっても、身体を壊したらなんにもならない、 穏やかな人生を送ることが、人にとってはいちばん大事だ、と。
その後の僕は、父を悲しませることになるのですが、高校、大学、社会人と長ずるにつれ、それとは違う生き方をするようになってしまったのですが、
今、この歳になった僕の心の底を探ってみると、人生でいちばん大事な最後の砦を、父は作ってくれたのかもしれません。
当時の青年たちを待っていたのは、自分で切り開くべき社会があるという確信でした。 周りの友人たちも、みな、その確信を抱いて、坂の上の雲とはまた違うのですが、志を抱くことに情熱を感じていたのです。
ですから、それこそ、激しい生活、向こう見ずな生活に入ってしまうことになるのです。
そして、日本経済の成長ぶりはすざましく、社会人(いえ、会社人ですね)としての生活は、困難があったものの成果に満ちたもので、その交友は愉快なものでした。
そうして、何十年もやっていると、自分に、妙な自信がついてきてしまうのです。
ビジネスでの(細かなことですが自分の内心では強い確信をもったところの)成功の数々、ビジネスを超えた付き合いから得られる成果、あたらに学び始めたことから得られる斬新な解釈。
そして、何よりも、健康を蝕む疫病神の存在を忘れてしまうような、健康の年月。
こうしたことが、何年も何年も続き、そして、今から7年前、58歳のとき、幾つもの健康障害が襲ってきたのです。
もちろん歳だからと片付けることも出来たでしょう。
でも、精神年齢はまだ40代くらいのつもりですから、随分とがっかりしました。
しかし、障碍が、他の同年代の人と比べて、深刻だったかというと、そうではありません。
まったく、そうではありません。
内蔵からの出血も、それこそ、大したことはなく、心臓発作も2度、3度とありましたが、自力で回復しました。その他のものも、人に言わせればきっと軽いことでしょう。
でも、これらの「割りと軽度」なことであっても、潜在的に、健康恐怖心を抱いている僕にとっては、深刻なものです。
そして、その後、僕の主治医として面倒を見てくれている医師が言ったこと、
「取り返しのつくこととつかないことがあるのです。 「不健康な生活をしてきたことによってある状態が出来上がると、 「それを、もとの状態に戻すことはもうできない。 「つまり、過去は取り戻せないのです」
「今の状態を維持することはできます。 「相応の努力をすれば、悪化を食い止めることはできる。 「だけど、それをしなければ、毎日、悪くなります
事の真偽はわかりません。でも、
「今を維持するのが精一杯だ」
ということは、僕にとっては、怖い言葉でした。
「原因」ははるか昔、父の教えを忘れ去って暮らした何十年の日々にあります。
過去と他人は変わらないというけど、未来に向かって何をしていったらよいのか、悲しくなりますよね。
それ以降のことは長くなりますので、省略しますが、ここでの後悔が、新しい生活を始めたいと思うきっかけでした。
あの人生が僕の選んだ人生だったのは間違いない。
でも、選ばなかった人生、捨ててしまった人生をやる時間が欲しい、と。
そんな思いが募ったのです。
捨ててしまった人生、選ばなかった人生が何かはわかっていても、 過去に戻れない以上、それを選ぶことはできません。
過去は過去としてそのままに、しかし、新しい生き方を、健康面と精神面で求めていきたいと思うようになったのです。
(拙い僕の物語を読んでいただき、ありがとうございます。)
医学情報の取り扱い
僕が、ためらっていたことに、医学・健康情報の取り扱いがあります。
それは、内容が難しく僕が誤解してしまっているかもしれないということ、それらの情報は医師資格の無い者が発信することの法的・同義的問題です。
ですが、
「蒲池さんの情報は、患者というか、一般の人が利用者として扱うやり方に徹したら良いんだよ。
「僕ら、医者とは違う見方で健康情報を扱うことに徹するのは良いことだとおもうよ」
と、親友のN先生の励ましもあって、決意しました。
生活の質の向上が、N先生との合言葉になっています。
これまでもいろんな方との交流はありましたが、よし、これを中心に据えて、僕の経験、教訓を軸に、みんなと、身体、精神の交流を図ろうとおもいたったのす。
これから、一緒に、健康達人シニアを目指して、しかし、そんなにあわてず、ゆっくりとであっても、意義ある人生を作っていきましょう。
なお、僕は、社団法人情報通信医学研究所の理事や、他の医学関連の機関の役員をしていて、知人、友人は医師や医学者、薬学者が大勢います。
困ったことやわからないことは、なんでも探究できる良い環境にあるので、不安と好奇心と両方でもって、学び、活用していこうと思っています。